神戸介護ケアウイング グループホーム・デイサービス部門 在宅部門

『本当に翼が欲しいのは、 彼女のような重度障害者ではないだろうか。』 障害者の方の翼になって我々が援助し、世の中の人々がみんなで翼を提供できる日が来てこそ、日本にも福祉が日の出を迎えたと言えるのではないだろうか。(本文より)

社名「ケアウイング」の由来であり、人としての原点を教わった福祉施設実習体験レポートを掲載させていただきます。

代表取締役 足立 勝 (介護福祉士)

  「翼をください」
       ・・・・重度身体障害者「みっちゃんの夢」
                                
【居室の様子】

 窓を開けると、裏六甲のさわやかな風が入る南寮の寮母室横の○号室が寮育班のMさんの居室である。 そこは、重度身体障害者で全介助のMさんとKさん、他によくおしゃべりするSさんと片マヒ障害を持つHさんの4人部屋で、入り口に面してみっちゃんとあっちゃんのベットがある。みっちゃんと皆に呼ばれているMさんは、風邪で熱があり寝ていることが多かった。たまに、機嫌の良い時はベットにちょこんと座って廊下を歩く人を眺めている。顔の知らない人が来たら、「この人は良い人だ」「いや、ちょっと私には合わない人だ」と思いながら座っているようにも思える。床頭台には、動物のぬいぐるみが並べてあり、その横にセピア色した古い両親の写真が置いてある。その写真は昭和20年代の服装で、みっちゃんの年も60歳位と推察できる。 久しぶりに車イスに乗せて、食事介助を行った。歯は全くなく、大きく口を開けるとノドチンコまで見える、反対に口を閉じるとクシュンとした顔になり、顔の大きさが半分になってしまう。ふと、Mさんに入れ歯を入れてあげたら綺麗な顔になり、人生を楽しいものにしてあげられる様な気持ちになってくる。

【より援助がしたい!】
 私は、重度の障害者の介助は初めてなので、何からコミュニケーションをとればよいか、さっぱり分からない。食事はきざみ食なので、食事介助のマニュアル通り口の中に入れた。噛む所がないので、丸飲みのようだ。言葉も話せない、手足が不自由、頭も固定しない、願うような気持ちで半分ぐらい食べた所で、いらない表情をされる。寮母さんに尋ねると、「その位で普通です」との返事、まずまずの食事介助ができた。次は、みっちゃんを「車イスからベッドへ移動させておいて下さい」との指示、体重は30s未満のような小柄な体なので、ベッドへは難なく移せたが、座らせる体位が悪く痛がられ、しかし、どの位置が正しいのか観察が不十分だったためわからない。慌てて寮母さんを呼んだ。「この方はこういう体位で座られます」と安楽な体位へ手足を置かれ、本人も満足そうだった。
【寝たきりは辛い!】

 朝の引き継ぎの時点で、発熱ありとの報告。「風邪からずっと微熱が続いているので水分補給は十分に、それと抗生物質をずっと投与していますので、これ以上続けることは、小さな体に良いことはありませんので熱には気を付けて下さい」と、看護婦さんの言葉。みっちゃんはベッドの上で寝ている日が二週間位続いた。妹さんが面会に来るというので楽しみにしておられたが、都合で二、三日遅れるというのも元気をなくしている原因でもあるようだ。 実習二週目の土曜日、妹さんが来られ車イスで散歩しておられ、すこぶる楽しそうだったが、九州へ帰られる前に一度面会に来たと話をされていて、又、本人も淋しそうである。その頃より、ベッドの上に座っておられても表情がだいぶ判るようになってきた。「おはようございます」というと、少し首を動かし頷かれる。

【コミュニケーションがとれた!】

 まだ、話ができない。熱も下がり、車イスに乗っている時間が多くなったので外へ散歩に出た。うれしそうである。アジサイが咲いていたので、ひとつまみの花を黄色の服に刺してみた。うれしそうである。昨日、風呂へも入ってさっぱりして、花もよく似合った。 「歌いませんか、何知ってます?」「♪ゆうやけこやけ♪知ってます?」「うん」と力強くうなづく。だんだんコミュニケーションがとれてきた。実習に来て二週間目である。「♪ゆうやけこやけで日が暮れて〜」大きな口を開けて声が出ないが、ノドチンコの所で歌っている。こちらにもよくわかる。 ふと見ると、口の中の舌の所が真っ白いコケが生えている。寮母さんの許可を受けて、ガーゼをもらい拭いてみた。なかなか取れない。が、口の中の滑りまで取る。余程気持ち良かったのか「ありがとう!ありがとう!」と丁寧にお礼を言われた。

【口腔清掃】

 寮母さんも毎日の業務に忙しいのと、口の中の清掃というのが、まだ意識が低いこともあるのだろう。みっちゃんにとって初めての経験だったのか、「これで食事もおいしく食べれますよ」といって、夜の食事介助もさせて頂いた。気持ちが通じたのか、ごはん半分、おかず全食スムーズに介助が行えた。食事が終わって、「歯を磨きましょう」と歯のないことを忘れてそう言ってしまったが、本人はわかっていて、舌を出された。二回目もガーゼで拭いたが、白いのは少し残っている。が、さっぱりしたのか機嫌が良い。私が、廊下を歩いているのが目に入ると笑ってくれている。大きく口を開けて、うなづいてくれるのでよくわかる。 次の朝、出会うと「口を洗ってくれ」と今度はみっちゃんの方から舌を出される。「洗ってもらっていないのですか」「うん」と会話ができるようになった。今度は、寮母さんから頂いた歯ブラシでこすってみた。だいぶピンク色が出てきた。コップに水を入れ、ブラシを濯ぎながら3回4回とこする。ティッシュペーパーで口の中の滑りも取って、お茶で仕上げである。何の味かわからなかったのが、やっと、お茶の味がした時ではなかったのかなと思うし、又、あのまま舌にカビを作っていると口腔内の雑菌が肺の中に入り、誤嚥性肺炎を引き起こす原因にもなると学んだ事があり、口の中の清掃は簡単にできるので続けてみることにした。朝、昼、夕と口の中の清掃を行っていると、四日程続けると我々と同じような舌の状態になってきた。 みっちゃんは、私を見ると機嫌が良い。今度は、後ろで話を聞いていたKさんが「私もしてくれ」と言う。同じように重度の障害者である。上顎の前歯4本が虫くいのまま残っている。残根状態になっているものもあり、ブラシで少し洗ってみたが、歯肉がゆるく、出血したので真似事のようなことをして終わった。二人はライバルであるので、同じようにしてあげないとどちらかが、ヤキモチを焼くようになった。

【満足な援助】

 五月晴れは長く続かず、朝から雨の日である。廊下を通っていると、みっちゃんが目で合図される。何かして欲しいらしい。「何ですか」もうこの時分になるとアイコンタクトでわかるようになってきた。「イタイ」あっそうだ。ベテランの寮母さんに教えてもらったことを思い出した。長い時間こうしていると「痛がるんですよ」「よし、みっちゃん飛びましょうか」と言って、ピョーンと体を持ち上げ、「もう、いっぺんヨイショ」と体位を変えてあげるのである。私はとっさに、「飛びたいんですか」と聞いた。うなづく。寮母さんの真似をして、体を持ち上げ、納得される位置へ車イスのみっちゃんを座り直させた。「これでいいですか」「ありがとう」落ちないように車イスとベルトで固定されているので、私たち健常者でもこのような体位では30分と持たないだろうが、意志の疎通ができ、コミュニケーションがとれだすと利用者にとって満足のいく援助ができるようになってきた。

【心が通じると涙がでた】

 晴れた日、「Mさん、散歩に行きましょうか」と誘うと上機嫌。夕陽が沈み欠けている。「♪夕焼けこやけで日が暮れて〜」「上手に歌われますね」「学校で教えてもらったの」「ううん」と頭を振る仕草。「お母さん」声はでないが、よくわかるようになった。「お母さん、元気」「死んだ」短い言葉だが、会話ができる。悲しそうな顔だ。しまったと思ったが、「お母さんに聞こえるように大きな声で歌いましょうか、この空で聞いてくれているかも知れませんよ」といって、「♪くつがなる」や「♪ゆうやけこやけ」を歌う目から涙が溢れている。私も、泣きながら歌った。「上手に歌われましたね。お母さんに聞こえていますよ」あのセピア色の写真のお母さん、きれいな方である。娘さんの事を気にされながら亡くなられたのだろうと思うと、歌っていて涙が止まらなくなった。

【対人関係は鏡のようだ】

 「おはよう」というと「おはよう」が返ってくる。「頭を綺麗にしましょうか」「うん」「ベッピンになりましたね」「ありがとう」「また口洗いましょうか」舌をさかんに出し、早くしてくれという催促である。「グアーコラー」と隣のKさんのヤキモチが始まる。「あなたにもしますよ」「どちらも負けんようなベッピンサンや」というと、二人共うれしそう。 今度は、みっちゃんを洗面所へ連れていって、鏡でコミュニケーションをとった。鏡に写っているみっちゃんを見て、「おはよう」というと、毎日の生活の中より大きな変化を見つけたのか、うれしそうに鏡の中の顔が返事をしている。コミュニケーションよりレクリエーションのようで、私の発見である。洗面所での口の中の清掃はうれしそう。食事介助も「魚の味がするでしょう」「これはサラダ」「味噌汁を少し飲みましょうか」それぞれの味を楽しみながらの食事介助が楽しく進みだした。 「もうすぐ、実習終わりやねん。みっちゃんとも友達になれたのになあー」というと、「イヤヤ、いやや」と肩を揺すって泣かれ、「また、来るがなあ」というのが精一杯で私も涙が出る。

【人として原点に立って〜相手の身になる〜】

 最初、どのようにコミュニケーションをとったらよいのか、戸惑った'みっちゃん'と気持ちが通じた。重度障害者で歩くこと、手に持つこと、話すこと、私たちの当たり前にできることが全部できない。人の援助のもと、60年近く過ごしてきたMさんに、この一ヶ月で何かをしてあげたいと限られた時間にみっちゃんと接し、私は大きな人としての原点のようなものを教えて頂いた気がする。人を疑わない綺麗な心、お世話になったことへの感謝の気持ち、人として我々が忘れていることを全て持ち合わせているようなみっちゃんと一ヶ月過ごし、忘れかけていた大切なものを教えて頂いたような気がした。 みっちゃんのような障害者を援助する時は、障害があるとか、知能が遅れているとかの先入観を持たぬことである。一人の人間として当たり前に接し、こちらの人間性を相手に認めてもらうこと。色々大変な経験を積んでこられているので、人を見る目はできている。上辺だけの表現や表情では、すぐ見抜かれてしまう。障害者は色々なサインを我々に送って、コミュニケーションをとろうとされているので、どんな小さなサインでも見逃さない観察力を養うのも必要になってくる。手や足でもどの位置が安楽な位置であるのか、普段の状態を観察して頭に入れておかないと、こちらが正常と思っていても表情を歪め、サインを送ってくることが沢山あった。そして、単調な日々の暮らしの中にでも戸外へ出、花を摘み、又、洗面所へ出かけ、娯楽室へと変化を付けてあげることが障害者のレクリエーションになることも良くわかった。黄色いシャツには、黄色い靴下でも気分が良いもので「こちらが日々何をしてあげられるか」考え、相手の身になって接することが最良の援助技術だということも教えて頂いた。 それにしても、口の中の事が全く置き去りにされていたという事も私にとって驚きであった。口腔清掃に意識が高まり、口の中を健全にする事が全身の機能の向上へつながるという啓蒙も施設関係者には必要な事だと感じた。最後に、今、サッカーのワールドカップの応援歌で、「翼をください」がよく歌われるが、翼を欲しいのは、みっちゃんのような重度障害者ではないだろうか。大空へ飛び立ち、お母さんに逢い、知らない所へも元気で行ける。このような夢を幾度となく見たことだろう。その障害者の方の翼になって我々が、援助し、世の中の人々がみんなで翼を提供できる日が来てこそ、日本にも福祉が日の出を迎えたと言えるのではないだろうか。